ここ数年来、「ミニマリスト」というワードが流行っている。2015年に流行語大賞としてノミネートされたことで知った方も少なくないだろう。ミニマリストを簡潔にまとめると「最小限のモノで暮らすライフススタイル」のことだ。
“最小限”というのは、明確に基準が決まったものではなく、人それぞれで異なる。布団をなくして寝袋で寝る人もいれば、ベッドで寝る人もいる。つまり、その人の最小限という、パーソナルな基準だと考えればよい。
では、ミニマリストのメリットは何だろうか。筆者も数年前から片足を突っ込んではいるのだが、ようやくその良さがわかる段階になってきた。
大きなメリットは、掃除が楽なこと。単純にものが少ないため、掃除をする箇所が少ない。床の見える面積も広くなるため、掃除機をかける際の手間も軽減される。
筆者は5年くらい前まで、平気で床の上に物を置いていた。もちろん歩くと足に当たるし、踏むと痛いし壊れる。我ながらよくあのような環境で過ごしていたと思う。掃除しにくいためホコリも積もっていた。
床の上に物が置かれていないのは、やはり快適だ。誰もがそう思うかもしれないが、実践するのは難しい。維持するのが大変で、すぐに戻ってしまう。しかし物を減らせば、たとえ散らばっても楽に戻せるし、そもそも床に置くことがすくなくなる。
誤解している方も多いのだが、とにかく物を捨てれば良いというものではない。禅の修行僧のようなレベルで、ストイックに物を減らす方もいるが、それだけがミニマリストではない。
特に日本と海外ではミニマリストに対するイメージが違うようで、アメリカの人気ミニマリストYouTuber・Matt D’Avella氏は、ベッドを持っているしソファも置いている。ショールームのように生活感はないが、所有物が少ないかといえばそこまででもない。
一方、同じアメリカであっても、Peter Lawrence氏のように物を極限まで切り詰めている人もいる。同氏は、1年間使わなかったものは全て捨てるという。つまり上述したように、最小限は人それぞれで、具体的な基準はないのだ。
筆者はミニマリストかというと、そうではない。完全に必要な物のみで生きていくのは厳しいし、新しい物好きなので、すぐに何か欲しくなってしまう。
ただミニマリストという文化を知り、多少は実践することで、物の消費・付き合い方に変化があったのも事実だ。買うときには「使うか」「必要か」を考えるようになったし、そのおかげで、買って失敗する経験も減った。
物というのは、嬉しいのは買った瞬間がピークで、その後はあまり使わない場合も多い。手持ちものが減ると、物を増やすことに慎重になるので、自然と良い買い物ができようなった気がする。
ミニマリストの方の本を読むと、メリットとして「ものが減るので自分の目標・やりたいことに集中できる」という趣旨を挙げているものが多い。たしかに時間的に考えると、探す時間も減るし掃除も楽になる。一方で、減らすために、かえって物に執着しやすくなるのも事実だ。
禅には「本来無一物」という言葉があり、すべての物は、自分の体を含めてあの世には持っていけない、だから執着を捨てることが大切だという。物の数を減らすことだけに囚われていると、かえって物に執着することになり、逆効果な気もする。
やや批判になってしまうが、有名なミニマリストは、“所有物” を公開する人も多い。人気のコンテンツなのは確かだし、気になるのも理解できる。しかし結局のところ、これでは物へ執着している状況。製品紹介とアフィリエイトの相性は良いので、金銭的な側面もあると思うが、なんだかもやもやしてしまう。
また、先ほどの本来無一物という言葉には、地位や名誉も含まれる。これらを得るための手段として、自己啓発的にミニマリストが語られることも多い。物だけでなく連絡先なども減らすことを推奨している方もよく見かけるが、それと一緒に、名誉欲や承認欲求などもコントロールできるのが理想だとは思う。そういう意味では、ミニマリストライフの紹介・公開は、承認欲求を満たす側面もあり、判断が難しいところといえよう。
話が逸れてしまったが、個人的によいと思うのは、適度なミニマル感だ。いらない物を減らして利便性を得つつ、物の所有数にこだわなければよい。言うは易く行うは難しだが、とにかく、物を減らすことに固執するのだけは避けたい。競争ではないので、○個持っているというのには、あまり意味がない。
筆者はかれこれ数年間、ミニマリストや片付けを細々と実践してきた。日々、物は増え続けているが、同じくらい外へ出ていく。必要なものは気分によって変化するし、必要でなくとも、持っているだけで満たされる物もある。数年前と違うのは、物との付き合い方だ。
ミニマリストを目指す過程で、所有物について考える機会を得た。それまでは、ただ、欲しい物を外から取り込むだけの生活だった。しかし今では、「持っているもので十分だから」と、所有しているものに目が向けられるようになった。つまりは、内側に目が向けられるようになった。
知足――足るを知るという言葉があるが、これまで隣の芝しか見ておらず、自分の庭について考えたことはなかった。自分が思う以上に、自分の持ち物は充実しているし、環境にも恵まれていたりするものだ。最後は思想的になってしまったが、これがミニマリストというものから、個人的に得た一番の学びだった。